即墨(そくぼく)の戦い。運命のいたずらで、大活躍して斉国を救った下級役人の田単。亡命した楽毅。

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楽毅の侵攻の前に、斉の湣王は莒(きょ)へと逃れて守りを固めました。しかし宰相だった淖歯(とうし)の裏切りにより亡くなってしまいます。そして湣王の子である襄王(じょうおう)が即位。

楽毅はそのような状況の中でも、斉国の領土にとどまっていましたが緊急事態が・・・。自国の燕国では昭王が亡くなり、恵王が即位したのです。

亡くなった昭王というと趙国からやってきた楽毅を厚遇してくれた人物で、チャンスと今の地位を与えてくれた恩人ですね。そして運の悪いことに、新しく即位した恵王は太子時代から楽毅が嫌いという。なんてこった・・・。

目次

即墨の戦い

そこに付け込んだのが、即墨の地を守っていた斉国の田単(でんたん)でした。田単はもともと臨淄(りんし)の市場を取り仕切る下級役人。楽毅が臨淄に攻めてきたときに、田単は自分の一族に命じて馬車の車軸の先端を鉄の金具で補強させました。

他の馬車は逃亡するときに車軸が折れてしまい、燕軍に捕まってしまいますが、田単一族は臨淄から無事に脱出に成功して、即墨城に立てこもりました。

この出来事を聞いた即墨の人々は、田単を将軍の座に祭り上げて楽毅に抵抗したのです。田単は第一作戦として燕に【反間(はんかん)の計】を仕掛けます。

反間の計

まず燕国に使者を放ち、以下のような噂話を広めさせます。

「楽毅が莒(きょ)と即墨を落とさないのは、時期を見計らって自らが王になろうとしているかららしいよ。」

これは田単が楽毅を戦場から退かすためのデマなのですが、もともと楽毅を疑っていた新しく即位したばかりの恵王は、すぐにこの噂を信じてしまいます。思い込みって怖いですね。

そして恵王はすぐに楽毅を罷免して、騎劫(ききょう)という人物に新たな将軍を命じます。燕を追われた楽毅はやってもいない罪に問われるのを恐れ、そのまま趙国へ亡命しました。

趙国の恵文王は楽毅が戻ってきたことを喜び、領地を与え厚遇して、望諸君(ぼうしょくん)と呼びました。

追い出したのが燕の恵王で、迎えたのが趙の恵文王だよ。
名前が似ててややこしい…

火牛の計

反間の計で楽毅を追い出すことに成功した田単は、他にも行動を起こしていきます。

①燕の軍が、即墨の地のお墓を荒らすように仕向けて、即墨の人々の怒りに火をつける。

②兵士の一人を【神師(しんし)】に仕立て上げ、神が命令しているように見せかける。

③武装した兵士を全て隠して、老人、女性、子どもだけに見せかけて偽りの降伏をする。

④即墨のお金持ちの名前で、燕の将軍に賄賂を贈る。

こんな感じの作戦で、燕国軍はすっかり油断してしまい武装を解いてしまいました。

燕国軍が武装を解除したのを見た田単は、最後の作戦にでます。

夜のうちに千頭の牛の角に剣をくくりつけ、牛の尾には油に浸した葦(あし)の植物の束を結んで火をつけます。そしてその千頭もの牛を燕軍に向けて、一斉に放ったのです。

火の熱さに暴れ狂う大量の牛に、燕軍はパニック状態になります。そこに田単は5千の兵で襲撃!燕の将軍・騎劫を討ち取り、燕軍を即墨から退却させることに成功しました。

田単はその勢いのままに進軍して、燕に奪われていた城を全て取り返します。

これは済水西の戦いの楽毅の勢いだね。

莒(きょ)に逃れていた自国の王さま、襄王を臨淄(りんし)に迎え入れます。こうして斉国は滅亡の危機から脱することができたのです。

この戦いは田単が下級武士から、一気に英雄になったシンデレラストーリーですね。

司馬遷の『史記』に関する大きな流れをまとめた記事はこちらです。

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