史記の人物像
成蟜(せいきょう)は秦王・政の弟にあたるが母親が異なる異母兄弟です。父親は荘襄王(そうじょうおう)、母親は不明。
史料における成蟜に関する記述は少ないので、不明な点が多い人物です。長安君に封じ込められていたことは史実として残っています。
史実の成蟜の乱
長安君に封ぜられていて、政の命を受けた成蟜は軍を率いて趙の軍を打ち破りました。しかしそのまま駐屯地にとどまり、「都の咸陽(かんよう)を焼き討ちし、憎き正の首を取る!」と宣言し謀反をおこしたのです。
反乱とは何てこった!
成蟜はずっとこのタイミングを狙っていたのでしょうね。
この知らせはすぐに咸陽に伝えられ、これに対して政は冷静に対処します。軍を派遣して成蟜を打ち破り、謀反を無事おさめるのです。
この戦いで成蟜は命を落とします。戦死なのか自害したのかは不明ですが、『史記』の注釈書のひとつの『史記正義』では、成蟜は防塁の中で亡くなったとされています。
成蟜に従った軍吏達は全て処刑されます。成蟜の軍に加わった民は皆、西方の甘粛(かんしゅく)の地へ強制的に移住させられました。
そして成蟜が亡くなった後に屯留で再び兵が反乱を起こしますが、秦軍によって皆殺しにされその遺体は辱めを受けたと言います。なんと恐ろしい・・・。
反乱を起こすということは、付いていく兵士たちも命がけなんですよね。
これは『史記』の中の「秦始皇本紀」にある内容です。史料によって解釈が異なりますが、参加していた武将やどのような戦いだったかは分かっておらず、本当のことは闇の中という感じです。なおさら想像が膨らみますね。
キングダムの人物像
目つきが険しいですね。イヤな感じの人物ですが、奥さんを大事にしており最期は兄の政を信じて亡くなります。
兄弟の政権争いが起こるのは、日本も中国も昔から同じですね。
せいきょうは自分が秦の王になる予定で過ごしていたのに、母親の違う兄が突然戻ってきて王位を取られたわけなのでもちろん気分は悪かったことでしょう。
結果、悪役っぽい登場でしたが、愛妻家な面を見るとなんだか憎めません。
成蟜には成蟜の心温まるエピソードも実際には沢山あったはずです。
もっと違う形で兄の政と出会えていたらと、残念でなりませんね。
その後にはすぐに嫪あいの乱に繋がっていくのです。